杉原えいこ プロフィール

藤沢市議会議員 杉原えいこ

昭和38年5月21日生まれ

学歴

青山学院経営学部第二部経営学科卒業
Australia Williams Business College終了

経歴

家業が傾き短大中退後、運送会社で経理として働き7年後退職、豪に留学。

帰国後、アップルコンピュタで勤務。4年間の授業料の半分をアップルに負担して頂き青学二部を卒業。

その後、エルメスジャポン・シマンテックなどの外資で35年勤務。2015年藤沢市議選に初出馬するも落選。2019年初当選を果たす

家族構成

夫・長男(大学生)・次男(ダックス犬のアポ)

活動

藤沢市法人会賛助会員
市民後見さざなみネット正会員

藤沢市女性防犯協議会委員

ふじさわトリプル成人式実行委員
神奈川県看護連盟賛助会員
青山学院校友会役員
藤沢ロータリークラブ会員

 

座右の銘

正々堂々

好きな人物

白洲次郎

趣味

旅行・ボディボード・ゴルフ

好きな音楽

サザンオールスターズ・小野リサ

好きな映画

ショーシャンクの空に・おくりびと

好きな漫画

宇宙兄弟

家族

夫・大学生の息子・アポ(カニンヘンダックスフンド)の3人+1匹家族

杉原えいこ Story

生誕~学生時代

昭和38年(1963年)5月21日生まれ

母の「つわり」がひどくお産直前まで「つわり」が続き、産まれた私も栄養失調状態であったようですが3000グラムでの誕生でした。その後、驚異的な生命力と食欲で大きく成長し、2歳の頃、健康優良児コンテストで優勝致しました。

相模原市立東林小学校時代

小学校では児童会の役員選挙に出て、児童会役員を務めました。

「これからは農業に力を入れるべきだ!」との思いから友達何人かと「農業クラブ」設立運動をしましたが、運動の甲斐なく校長先生に説得され断念した思い出があります。

相模原市立上鶴間中学校時代

3年間、軟式テニス部に所属し、真っ黒になって練習をしていました。
中学2年の頃に「銀座ナウ」という番組がはやっていました。その番組の中に洋楽を紹介するコーナーがあり、ベイシティローラーズというイギリスのバンドを知り彼らに夢中になりました!初めて触れる外国の音楽。彼らが何を歌っているのかが知りたくて、知りたくて英語を必死で勉強しました。この頃から私の英語好きが始まったように思います。

神奈川県立相武台高校時代

相武台高校(現在の相模原青陵高校)第一期生。入学して1年間は仮校舎のプレハブでの授業でしたが、同級生との一体感があり、不自由ながらも楽しい1年間でした。
高校では、硬式テニス部に所属しました。2年生からは新築校舎に引っ越しをしましたが、テニスコートは勿論なく、自分達で土を掘り起こし、ローラーをかけてコート作りから始めました。副部長を務め、2年生の夏休みに部長とペアを組んで、初の県大会ダブルスの試合に臨みました。二人とも軟式出身であった為、無謀にも硬式テニスのルールを知らないで望んだ試合でした。敗戦者が次の試合の審判をするというルールを当日我々は知り、愕然としたのを覚えています。しかし、なんと!予選の4回戦(その日の最終戦)まで勝ち進むことができました。4回戦では敗退致しましたが、その日の最終戦まで勝ち進んだ為、心配していた審判は最後までしなくて済みました(笑)。

我々が勝ち進むとは誰も予想していなく、顧問の先生は大興奮されて「よくやった!よくやった!」とお褒めを頂き、「帰りに二人で何か甘いものでも食べて帰りなさい」と2,000円頂いたのを覚えています。その時の試合会場は江ノ電駅の「鎌倉高校」でしたので、今でも近くを通るとその時の思い出がよみがえります。

両親にねだりにねだって、高校1年生の夏休みにアメリカ・サンフランシスコへの1か月の語学留学に行かせてもらいました。当時は、まったく英語が話せなく、絵を描いて説明をし、身振り手振りでのホストファミリーとのやり取りでした。 特にホストマザーの早口な言葉がまったくと言っていいほど分からなかったです。しかし、10年ぶりにアップルコンピュータでサンフランシスコに出張に行った際に、ホストファミリーとお会いした時には、「こんなにゆっくり話してくれていたのかな?」と思い、時の流れを感じました。

激動の社会人~現在

タカラ倉庫運輸サービス勤務時代

高校を卒業して、帝京女子短期大学に進みましたが、実家の稼業がたちゆかなくなり、1年で中退しました。
その当時のお隣さんのご紹介で、タカラ倉庫運輸サービスの社長さんに会いに母と一緒に会社へ伺いました。
私は短期アルバイトでお世話になると思っていましたが、社長さんからは「経理で、正社員で」とのお話を頂き、正直言いますと、何が何だか分からない間に「明日からおいで」と言われ、会社員生活がスタートしました。

右も左も分からない私を当時の経理責任者であった林千恵子さんは、文字通り手取り足取り教えてくださり、林さんから簿記や帳簿のつけた方を一から学びました。林さんは、まるで子供だった私にも敬語で話されて、叱る時にはしっかり叱り、ほめる時にはとことん褒めてくださるとても素敵な方でした。仕事だけでなく、社会人・女性としての生き方を教えて下さった方でした。そして、現在でも私の理想の方です。2011年12月に急逝された時には、お顔を思い出すたびに涙が溢れ3回目の命日までは平常心ではいられませんでした。今でも、もうお会いできなくなったことが信じられないですが、どこかであの優しい笑顔で私を見守って下さっていると信じています。会社の目の前で車に引かれた野良犬を会社で飼っていただくことになり、順番に、皆で面倒をみていました。名前はモモちゃんです。

シドニー(オーストラリア)留学時代

7年お世話になったタカラ倉庫を退社し、シドニーへと旅立ちました。この頃には、日常英会話程度は問題なくできていましたが、「仕事で英語を使いたいという」夢は日に日に大きくなりオーストラリアに思い切って旅立ちました。色々な国の方と接し、外から日本を見ると自分というものが、よく見えてきました。 私は外国かぶれでしたので、発想も西洋的であると思っていましたが、シドニーで生活をして初めて、自分のルーツを感じました。日本人であることを、誇りに思う自分を認識できたのは大きな出来事でした。留学時代に知り合った地元の方と英会話の本を執筆。 日本に帰国後、数社出版社に営業回りをし、ついに出版しても良いという会社さんが現れ、出版にこぎつけました。しかし、残念ながらこの本は絶版になりました。

アップルコンピュータ勤務時代

初めてアメリカ人上司と仕事をすることが楽しくて・楽しくてという時代です。当時の上司はハーバード大でMBAを取り、カリフォルニア州とジョージア州の公認会計士資格を持つというスーパーウーマンでありながら、グルメでおしゃれでキュートな女性でした。彼女からの勧めもあり、その当時アップルが教育費補助制度を行っていたこともあり、青山学院大学で経営学を学ぶ決心を致しました。
昼間は仕事、夜は大学と2重生活で体力的には大変でしたが、若い同級生達と学ぶことはとても刺激になり、有意義な時間でした。十代の若者とバレーボールの試合をするのは大変でした(笑)それも今となっては楽しい思い出です。

シマンテック時代

長男を出産し、息子が6か月になったのを機に「再就職活動」を始めました。安易に考えていた私は、いきなり窮地に追い込まれました。
一次面接で面接官に毎回言われるのはいつも同じセリフでした「お子さん小さいけど、大丈夫ですか?」。私的には、大丈夫だから面接に来ているということを訴えますが、結果は散々たるものでした。

もう諦めようかと思っていた時にシマンテックで広報をしていた友人が、息子の出産祝と一緒に沢山のシマンテックロゴのついたノベリティグッズを送ってくれました。「シマンテック」という会社名を思い出しウエブサイトを見ましたら「ファイナンシャルアナリスト募集」の文字が!ウエブ登録をして、数日後にシマンテック人事部から連絡を頂き、面接に向かいました。すると、面接官一人目は中国系アメリカ人男性(この方が私の上司になりました)二人目も中国系アメリカ人男性でした。お二人とも子供の話どころか、プライベートな質問を一切されませんでした。後でわかったことですが、アメリカでは私的な質問を面接の場で聞くことは禁じられているそうです。その後、合計5、6人の方とお会いし、採用して頂けました。
シマンテック時代はシステムの導入などで苦労が多かったですが、当時の部下とは「同じ釜の飯を食った仲間」いう連帯感が強く生まれ、今も時々会っては交流を深めています。

エルメスジャポン勤務時代

当時上司だったフランス人女性から最初に言われたのは「眠っている人たちをゆり起こし、新しい風を吹き込んでほしい」とのことでした。長い伝統と素晴らしい技術に支えられた会社でしたが、当時は官僚的な組織であったと思います。そんな空気を変えてほしいとのことでしたが、少々やりすぎたか、9人いた部下のうち8人が退職し、新しいメンバーに入れ替わるという総入れ替え状態となりました。
当時の私の仕事の仕方はひどいもので平日は終電ぎりぎりまで、土日も出勤するような日々でした。帰りの電車の中で眠ってしまい、当時住んでいた横浜を乗り過ごし、気が付いたら辻堂駅ということも多々ありました。この時期は、主人が比較的残業が少ない仕事でしたので、家の事、息子の事、全般的によくサポートしてもらいました。
この時の体験談を1冊の本にまとめさせて頂きました。

政治家を目指して

2013年11月 自民党 かながわ政治大学入学

  

同校の門を叩き、政治を学ぶ。同じ政治を志す仲間と交流を深めることができ、また新しい世界が広がりました。

2015年4月藤沢市議会議員選挙 初出馬

2015年4月19日藤沢市議会議員選挙告示。
選挙戦の前半は雨模様となり、激戦の幕開けにふさわしいものとなりました。36議席に対して46人の候補者が立候補。

政治は特別な人のもので、ましてや「市会議員は地元の名士でないとなれない」という一般常識を覆し、後に続く人の勇気になればと思い出馬を決意いたしました。
今の議会には、普通の会社員として働く母の市会議員があまりいない現状。子育てママの代弁者になりたいという強い思いがありました。

地縁・血縁ゼロの藤沢で、文字通りゼロからのスタートでしたが「母として社会人経験者として、私のような普通の人間も志・情熱があれば政治の世界で働けるという事を通じて、若い方に少しでも希望を与えたい!」この私の志に賛同してくださる方も増え地元の皆様の支えもあり選挙戦を進めてまいりました。

1668人の方々に投票して頂きましたが46人の候補者の中で39番目という結果となりました。お杉を応援してくださった皆様ありがとう御座います。皆様のご支持を力に藤沢が更に素晴らしい藤沢となるよう活動を続けてまいります。

2015年9月 認活(認知症予防活動)アドバイザー取得

認活(認知症予防活動)アドバイザーとなりました。認知症予防活動の啓もう活動を通じて、健康で楽しいご長寿社会を作るお手伝いをしてまいります。

2015年11月  サイレントフット レディース倶楽部さん ベースメーク講座

NPO法人 車椅子の会 サイレントフット レディース倶楽部さんで「障がいがあってメークでお洒落しよう」を合言葉にベースメーク講座をさせて頂きました。沢山の方の笑顔がそろいました。

2016年6月  2020年東京五輪に向けたお杉のワンポイント英語講座

藤沢産業フェスタ内ブースにて「2020年東京五輪に向けたお杉のワンポイント英語講座」をやらせて頂きました。2020年には国際都市ふじさわに沢山の外国人観光客が訪れます。「おもてなし」の為にも英語でのコミュニケーション力をつけることは大事です。

2016年7月  参議院議員選挙にて

参議院議員選挙にて三原じゅん子氏応援に汗をかかさせて頂きました。

2016年1月  箱根駅伝 青山学院大学応援

箱根駅伝 青山学院大学応援拠点の長をやらせて頂きました。藤沢市民マラソンでも地元の中学生の皆さんと一緒に給水ボランティアを担当。

2016年4月 チーム藤沢自民党

チーム藤沢自民党で、藤沢駅南口にて熊本・大分で被災された被災者の皆さんへの支援の為に、道行く皆さんに支援のお願いをいたしました。
沢山の方々がご協力してくださいました。

2016年7月 熊本大震災被災地救済募金活動

かながわ自民党で熊本大震災被災地救済募金活動をさせて頂きました。

2016年12月 40代からの「認活」認知症予防活動セミナー

40代からの「認活」認知症予防活動セミナーを合計4回に分けてさせて頂きました。残念ながら一度認知症になられると、現在の医療では完治は難しいそうです。早期の予防活動でリスクを減らすことが大事です。

2016年12月 子育て応援セミナー

東京都渋谷区にて学習塾さん主催の「子育て応援セミナー」をさせて頂きました。頑張りすぎちゃうママにとって、子育ては時々孤独になります。「ひとりじゃないんだよ」「一緒にがんばろうね」というお杉からのエールを贈らせて頂きました。

2017年9月 「ふじさわびと」好転女子の人生談義に掲載

藤沢 愛タウン誌 「ふじさわびと」に好転女子の人生談義に掲載頂きました。ふじさわで活躍する女性4人との楽しくも活気のあるお話しは元気を頂きました。
皆で藤沢を盛り上げていくぞ!!

2018年元旦  タウンニュース藤沢版 掲載

タウンニュース藤沢版元旦号に記事を掲載頂きました。藤沢へのお杉の思いを語らせて頂きました。

https://www.townnews.co.jp/0601/2018/01/01/413138.html

2018年2月  「日本の伝統文化でおもてなし」プロジェクト

華道家 瀬尾理詳様と「日本の伝統文化でおもてなし」プロジェクトの一環で「いけばな」を英語で表現するお手伝いをさせて頂きました。

2018年4月藤沢市倫理法人会で講話

藤沢市倫理法人会 モーニングセミナーで講話をさせて頂きました。

2018年4月 湘南藤沢mama’s

湘南藤沢mama’s にお邪魔しました。凄い熱気です。アイディア一杯で起業されているママたち素敵です。私もエネルギーを頂きました。

2018年6月  ユニバーサルカヌー体験会のサポート

辻堂海浜公園にてユニバーサルカヌー体験会のサポートをさせて頂きました。障がい者施設の利用者の皆さん、初めてのカヌー体験を楽しんでくださいました。最初は怖がっていた人も、帰るころには何度も乗って楽しまれてました。

2018年10月リハビリ施設視察

藤沢に要支援・要介護の方をサポートする本格的リハビリ施設が完成し、視察に伺わせて頂きました。身体は動かさなくなると途端に動かなくなるそうです。早めのケアでいつまでも健康長寿を目指してまいりましょう。

2018年10月婚活イベントのお手伝い

神奈川県仲人協会の先生方主催 江ノ島が見える会場での婚活イベントのお手伝いをさせて頂きました。少子高齢化対策には、皆さんが幸せなご結婚をされて、新しい家族を持たれることが一番です。これからも、婚活のお手伝いをさせて頂きます。

2018年11月 地元の地引網でご挨拶

地元の地引網でご挨拶をさせて頂きました。晴天にも恵まれ、湘南らしい楽しいイベントです。

2018年11月 辻堂駅での朝のご挨拶

辻堂駅での朝のご挨拶を始めました。
朝のご挨拶はお杉の活動の原点です。通勤・通学の皆さんにご挨拶をしていると私も元気を頂きます。そして、時には「頑張れよ!」「応援しているよ!」のお声掛けを頂き、勇気を頂いております。

2019年2月23日 杉原えいこ後援会「お杉会」発足会

杉原えいこ後援会「お杉会」発足会に沢山の方々がお集まり頂きました。皆さんの応援に身が引き締まる思いです。しっかりと結果を出してまいります。

2019年4月 いよいよ藤沢市議会議員選挙が告示

 

沢山の皆様から沢山の応援を頂き、大きなご支援を頂きました。そして、生涯忘れることができない「初当選」の喜びに顔をくしゃくしゃにして泣いた投開票日。
藤沢の皆さんのより良い日々の生活の為にお杉しっかりとご信託にこたえてまいります。

2019年5月 初登壇!

ドキドキで心臓が飛び出しそうなくらいの緊張の中の初登壇。
前々回の選挙の時から政策としてお杉がお訴えしていたお杉のライフワークである「藤沢初の病児保育施設設置」に関する質問。「広報ふじさわ」等の市の広報活動について一般質問をいさせて頂きました。

ご意見、お問合せ、市民のご相談はお気軽にこちらへ

杉原栄子
ご意見、お問合せ、市民のご相談は
お気軽にふじさわのお杉までお寄せください!

藤沢市議会議委員 杉原えいこ
後援会事務所
TEL FAX:0466-77-7265
https://www.e-osugi.com
info@e-osugi.com